御由緒

三島神社は全国に700社ある伊豆の三嶋大社と関係のある神社といわれております。三嶋大社から御霊分けしていただいたことが由来といわれております。三嶋大社から御霊分けをしていただいたのは鎌倉時代といわれております。

三嶋大社から御霊分けしていただく以前は、豪族が筑後平野の土地を治めていました。弥生時代より広大な筑後平野を治めていた豪族は「水沼一族」と呼ばれ、気高い者たちでありました。水沼一族の麗しき姫である襲武媛そのたけひめは、景行天皇の寵愛を受けて子を授かりました。

その子こそが国乳別皇子くにちわけのみことです。国乳別皇子くにちわけのみことは数々の戦いで自ら先頭に立ち、勝利に貢献してきました。また、筑後の地を発展させ、潤してきた人物でもあります。

国乳別皇子くにちわけのみことは生涯を終え、子孫は高三潴の地にお墓を建てました。また、子孫のお墓も筑後の地に建てております。国乳別皇子くにちわけのみことの子孫は彼を偲んで、筑後の地に神社を建て、彼の御霊を奉りました。これが水沼ノ総社「三島神社」であり、現在まで1800年の間筑後の地を守っています。

現在の宮司(宮﨑 貞臣)は神社でお祀りしている国乳別皇子くにちわけのみことの子孫です。3代目までは高三潴の地に住んでおりましたが、4代目以降は久留米の大善寺玉垂宮に御霊分けをいたしました。そして平安時代以降に現在の三潴郡に移り住み、そこで三島神社を建て、御霊を奉りました。